祖母の死について

祖母が他界した。先週の頭から調子が悪く、水曜日の夜に見舞いに行き、その数時間後に息を引き取った。週末に葬儀を済ませた。

何も手に付かない。というのは嘘だ。なんだかいつ祖母が死んだのかわからず、悲しいとか寂しいとか思えない。ただ粛々と日常を送っている。数十時間のあいだに、目をあけて私の手を握る姿も、死に化粧をされた姿も、お骨も見ることになった。それでも、やっぱり「祖母が死んだ」と認識できない。というより、前から祖母は死んでいたような気がする。

祖母は隣家に住んでいたが、6〜7年前から認知症の症状が出始めた上、5年ほど前から骨折して入院したり、グループホームに入居したりしていた。入院中に心臓も悪くした。その間、家に帰ることはなかった。

認知症は確実に進んでいったが、体調はそういうわけでもなかった。たしかに固形食が食べられなくなり、最後はプリンのようなものから栄養は摂っていたものの、顔色が悪くなったりやせ細ったりするような、「死の兆候」と呼んでもよい、劇的な変化は最後まで見られなかった。

5年以上の間、祖母は「死にそうな人」だった。体力は緩やかに落ちていったが、認知症の進行はほとんど暴力的だった。幸い、怒りっぽくなったり人に迷惑をかけたりはしなかった。それでも孫や子の名を忘れ、自分の名を忘れ、会話が通じなくなり、最後には人間に反応を返すことが少なくなった。「老人は赤子に戻る」とはよく言うが、いや、あれは衰弱しているようにしか見えなかったよ。

祖母の見舞いには行っていた。が、途中から、祖母がきっと私についてなんとも思っていないのだろうと考えてしまった。きっと実際そうだった。家族と見舞いに行ったときは、誰かが「ほら、わかる?孫が来たよ」と祖母に語りかける。ひとりで行くとき、私はそれを一切しなかった。二言三言、天気の話をして、なんとなく同じ時間を過ごして、すぐ帰った。何ヶ月か見舞いに行かなかったときは、「今おばあちゃんが死んだら会わなかったことを後悔するのだろうか」と自問自答した。答えは出なかった。

祖母が入院したころに、私は祖父を亡くしている。祖父は意識を健全に保ったまま、がんで苦しんで苦しんで苦しんで死んだ。最後まで明確に「死にたくない」と話していた。好きなものも食べられず病院に閉じ込められ、体が痛いと言って夜は眠れず、どんどん痩せていく祖父を見るのはつらかった。死んだとき、祖父は長い戦いを終えたように感じた。もう苦しまないで済んでよかったね。と、家族はすなおに思った。

祖母が死んだことを「よかったね」とは思えない。でも、悪いこととか悲しいこととも思えない。数ヶ月前、家に祖母宛の請求書が届いた。「どうして死んだ人にまだ請求が来るのだろう。連絡して止めてもらわなくては」と思ってしまった。私の意識の中で、祖母は98%くらい死んでいた。

週末の焼き場で、電子レンジみたいな炉の中へ運ばれる祖母の棺を見送り、茶を飲みながら1時間待って、出てきた骨を壺に納めた。作業のすべてがなにかの工場の工程みたいだった。もう祖母の肉体に会えないことはわかっている。でも、もう何年も前から、祖母とは話ができなかった。心を通わすことができなかった。

昨夜、認知症の出始めた頃の祖母を思い出した。それ以上昔の祖母についてはもう記憶がない。たぶん思い出すのがつらくて、思い出さないでいるうちに本当に忘れちゃったのだろう。そのことに気づいて胸が張り裂けそうな気持ちでいる。