ポタージュやワンピースについて

最近よく大きめの肉や魚を焼いています。マイブーム。

大きめの肉や魚と、なんか適当に加熱した野菜を平皿に盛るのがいいですね。ちゃんと食事してる感じが出る。ちなみに野菜は焦げるまで炒めるのが好きだ。

肉とか野菜はなにか適当なものに漬けておいたりするとこれまたいいね。魚の味噌ヨーグルト漬けとかなんとか。詳しくは忘れたけど、スペアリブをケチャップ、鷹の爪、はちみつ、しょうゆとかで一晩漬けて焼いたのがめちゃくちゃおいしくてかぶりついたら中が生だった。

友達が渋谷のおしゃれなカフェでランチしたらハンバーグが生焼けで、でもカフェがおしゃれだからこういう料理なのかもと思って全部食べてしまったって言っていた。

あとはポタージュにはまりました。検索すればすぐレシピが出ると思うけど、バーミックス(棒状のミキサーというのか。鍋につっこんでスイッチを入れると刃が回転して固形のものを液状にしてくれるもの)さえあればなによりも簡単だからね。適当な野菜を煮て、バーミックスでガーっとやって、牛乳入れるだけ。だと離乳食みたいな味わいだけどおいしい。ポトフとかミネストローネも好きなんだけど、ウインナーやベーコンの香りがずっとあるのが苦手で。

こないだはにんじん、じゃがいも、たまねぎをバターで炒めて、ローリエ入れて煮てジョギングして帰ってきたら台所の匂い的に「どうぞどうぞカレールーを入れてください」みたいな空気だった。たしかに材料がもろそうだった。その次はじゃがいもをさつまいもに変えた。

女の子と会う予定ができるとワンピースがほしくなる、しかしまあほしい感じのワンピースって全然みつからない。ゾゾタウンを見ても量が多すぎてなにがなにやら。結婚式に着ていける、ださくないのもほしいんだけど(結婚式用のワンピースってなぜ揃いも揃って最悪にださいのでしょうか)、このままだとまたZARAで買うことになってしまいそう…。

食べもの日記

昨夜から今朝にかけて作ったもの

いつまでも体調不良を気取っていられないから一念発起していろいろ作った。

〜チキントマト煮〜
いわゆる(?)チキンカチャトラ。私は親しみをこめて個人的に「チキトマ」と呼んでいます。実家ではこういうの食べないな。家族が鶏好きじゃない。

レシピは下の2人を参考にして、もも肉に塩、こしょう、カレー粉(ポイント)ふってソテーして、野菜(今回はピーマン。あとは人参とか。たまねぎは無駄に甘くなるし、切るのめんどうだからいいかな)炒めて、あったら白ワイン煮立たせて(よくやるけど、どういう意味があるかは不明)、トマト缶と水とローリエを入れて煮込んで、塩としょうゆ(ポイント2)で味をととのえる。水分多めだとスープっぽくておいしいし、少な目だと翌日などにパスタソースにできてそれもまたよろしい。

私は鶏皮って嫌いなんだけど、鶏肉のソテーって「皮目を下にしてパリっとするまで焼きましょう」みたいに言われるからとりあえずそうやって、そのまま煮込んで、食べるときにはがしている。あまりスマートじゃないよな。

ずっと朝に下ごしらえ(焼くところまで)やって炊飯器にぶちこんで夕飯くらいの時間にタイマーかけてたけど、正月に圧力鍋もらったので一気に調理しています。

山本ゆりさんのブログ(大好き)
http://s.ameblo.jp/syunkon/entry-11424154570.html
白山米店(大好き)
http://www.mishimaga.com/yasashigohan/003.html

〜ポトフ〜
みなさんポトフになにを入れますか。私がマストだと思うのはキャベツと肉系のもの(今回はソーセージとベーコン)で、あったらうれしいのが人参、じゃがいも、セロリ、特にいらないのはたまねぎです。あと、コンソメって必要なくない?いつも塩しか入れていません。

圧力鍋をチキトマに使ってしまったから普通の鍋で作らなくてはならず、しかも一口コンロだから加熱もできずということで、ティファールの取っ手をはずして、コップ1杯ぶんくらい水を入れて、ふたをしてレンジでちょっと蒸したんですよ。そしたら火の通りがはやくなるかなって。3分くらいしたらいきなり「ビーッ」と「ジーッ」の中間みたいな音がしたあとに、レンジの奥でかみなりみたいな何かが光って、あ、やっぱりレンジだめだよねと思っておとなしくチキトマ食べてる間にコトコト煮ました。


〜洋風 根菜の炒め煮〜
栗原はるみさんのレシピをアレンジして原型がなくなった感じの食べ物。弁当にしました。
http://www.kyounoryouri.jp/recipe/2250_%E8%B1%9A%E8%82%89%E3%81%A8%E3%82%8C%E3%82%93%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%AE%E7%82%92%E3%82%81%E7%85%AE.html

れんこん、大根、人参を3センチくらいのいちょう切りにして、ベーコンと炒めて、すきとおったら、水、しょうゆ、みりん、酒、あとマスタード(ポイント)をひたひたまで入れて水分がなくなるまで煮る。マスタードは英断だった。へたな人、調味料をけちる人(私のこと)が作る根菜の煮物にありがちな辛気くささがなく、おいしい。

れんこんは薄切りして炒めるよりも、分厚いのを炒めたり蒸したりして食べるほうが好きです。よくレンジであたためたやつにマヨネーズかけて食べてる。むちむちしてていい。

相変わらず1日4時間くらいしか眠れないけどがんばるぞー!

春眠暁をなんとか

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく窓際、少しあかりて、いや、全然あかるくなくて、白くもなっていなくて、今がまだ真夜中であることを知る。春の不眠だ。

恒例行事だからそろそろ大騒ぎしなくてもいい気がするが、日照時間が延びると自律神経がおかしくなって眠れなくなる。眠れないというか、12時ごろに就寝して、自然に夜中の2時とか3時に目が覚める。運が悪いとそこから6時くらいまで起きていなきゃいけない。翌日の昼間は、当然のようにめちゃくちゃ眠いわけで、けっこうつらい。

よく効いて眠気も出ない花粉症の薬を30日分出してもらって、春の勝者になった気分だったんだけど、風邪をひいて鼻水が無限に出る。水分が足りないからか口呼吸を強いられるからかわからないが、のどが乾いて痛い。のどを痛めると血尿が出るという、風が吹いたら桶屋がもうかる的な奇病にかかっているので日常に緊張が走る。そういうわけでさんざんな一週間だった。なんとか腎臓は守られた。自分が男性だったらやだなと思う。スタンディングスタイルで血尿が出たら、出し切るまでどんな顔していればいいの。

鶏のひき肉でロールキャベツを作ろうと思って買ってきたのに、体がつらくて、やる気がおきない。キャベツちぎって、鍋にぶちこんで、ひき肉もそのままぶちこんで、適当に煮た。味はロールキャベツだ。健康なときはもっときちんと食事を作って、ジムなどにも行けるわけで、「体が資本」とはよく言うけれど、健康な生活というのは健康を元手にしないと組み立てられない。健康な人がどんどん健康になっていくんだ。ピケティもそのようなことを言っていなかったか。

急に思い立って「ケイコとマナブ」のホームページを見て、すぐやめた。レッスンの選択肢が多すぎてどうすればいいかわからなかった。なにか新しいことをやりたいと思う気持ちに具体性がともなわない。こういう感じ、OL特有なんだろうか。そういえば今月、日本語教育のボランティアの説明会を聞きに行った。けっこうコミットしなきゃいけない世界なんだなやっぱり。聞いてる人も定年後っぽい人ばっかで、若い力をちょっとお貸しするようなことができたらいいんだけどと思う。

もう梅が咲いてた。桜ってかまってちゃんだよなとつくづく思う。

日記

けさ、というかダラダラ寝て正午まわっていたけど、でかける支度をして鏡を見たら頬の面積が大きすぎてどこにも行きたくなくなった。あ、チーク塗り忘れてるんだと思って塗ったけど頬は小さくならなかった。10分くらいどうすれば頬が気にならなくなるかいろいろ見方を変えたりマフラー巻いたりしたけど頬の存在感は変わらなかった。

きのうまつげパーマをかけたんだけど、ナチュラルって頼んだのに、けっこう強く、まつげが途中からクイと急上昇するみたいにカールがかかっていてより目が小さくなった感じがする。目が小さいのを気にしているからめいっぱいまつげ上げましたって感じ。そもそもまつげを上向かせるときにナチュラルとか頼むのもおかしい話なのかもしれない。

出かけるといっても、なんとなく表参道あたりに行って生活の木(というハーブの店)とカルディ見ようというだけ。まずカルディは閉店していた。それで昼食でもとろうと思ったけど、人が多すぎる、きょうなんかお祭りでもあるんだっけと思って、これ大学一年生のときに能登半島出身のクラスメイトが竹下通り見て同じこと言ってそれを私めっちゃ笑ってたな。中学入学〜大学卒業までは渋谷とか原宿が生活圏内だったから慣れていたけど、いまはぜんぜん違う生活をしていることを思い知らされた。まあ、山手線の輪っかの中に住んでいるんだけど。

キディランドのあたりでちょっと裏道に入ると飲食店がたくさんあるんだけど、目に入る店の5割くらいは行ったことある店で、さまざまな人とさまざまなシチュエーションでサシで飲み食いしたのを思い出して、別に全部楽しかったんだけどいきなり脳が処理すべき情報量が限界をこえた。結局、青学の近くのクアアイナハンバーガー食べた。死ぬほど席が狭かったけど、ひとりだとそっちのほうが居心地いい気がする。

それで青山ブックセンターに行ったりその近くのペットショップ見たりして自転車で帰った。

なんでこんなどうでもいいこと書いているんだろう…。


このビルがよく夢に出てきます。


これは今週の食事内容です。
ローストポークはもも肉を塩、ローズマリー、ローレルで3日間漬けてから150度50分で焼いたら完璧な出来だった。漬け始めてからレシピを検索しまくったけど、まずだいたいももじゃなくてロースだし、焼き時間と温度にさまざまな流派があるしで、なんか精神的に疲れてしまった。漬けてるあいだに悪くならないかも不安だった。今日はスーパーでロースのかたまり肉が安くなっていたので塩だけで漬けてみた。今度は茹でようかと思っている。

最近あらゆるものに輪切り唐辛子を入れている。漬け物とか炒め物とか。あとはゆずを買ってきて大根を薄切りにして塩ふったものと、細切りの昆布といっしょにジップロックに入れておいた。細切り昆布を使うのは年末年始に母が教えてくれました。

最近読んだ本。

死ぬ気まんまん (光文社文庫)

死ぬ気まんまん (光文社文庫)

いま読んでいる。死ぬのが怖すぎるから死んだ人の本を読んでいる。

岡田斗司夫が「ダイエット失敗しました、彼女を作らなきゃやせられないな(笑)」みたいなこと言ってる見開きがあっておもしろかった。スーパーフードっておいしくなさそうだな。

池袋のサンシャインに行った帰りに道に迷って、こっちだろうと思われる細い道をたどった先で、墓に取り囲まれた。

いちめんのはか
いちめんのはか
いちめんのはか
いちめんのはか
いちめんのはか
いちめんのはか
いちめんのはか
かすかなるしのきょうふ
いちめんのはか

などといった詩を吟じるような余裕もないくらい怖かった。時間は夜で、雨が強く降り始めていた。

お墓は怖い。私は本当に死ぬのが怖い。日に一度は「死ぬのが怖い」ということを考えている。小学生みたいだけど、小学生のころからこの恐怖にとらわれている。みんなはどうやって死の恐怖を克服しているんだろう。死にたくないわけではないけど、死ぬのがほんとに怖い…。私が迷い込んだのは雑司が谷霊園だったようなのだが、首都高の下道からほんの少し入ったところに墓が密集しているものだから、いきなり異世界に飛ばされたみたいで怖かった。

特にオチとか学びはないです。

最近読んだ本
『「踊り場」日本論』(小田嶋隆、岡田憲治/晶文社
http://book.asahi.com/reviews/column/2015011600006.html
上記に書評を執筆しました。

友がみな我よりえらく見える日は (幻冬舎アウトロー文庫)

友がみな我よりえらく見える日は (幻冬舎アウトロー文庫)

短いルポ集。読んでて絶対に傷つかない(これ、私は本とか読むときに重視する…)。

向井千秋さんの旦那って変な人だよな…」と今まで思ってたけど向井千秋さんがすごいエネルギーの持ち主で、変人なことがわかった。向井万起男さんはけっこう普通っぽい感覚を持っているようで、あと文章うまい。夫婦関係の話もおもしろいし、宇宙飛行士のこともよく知れていい本だと思いました。

今日の昼頃に東海道本線で書いた日記

名古屋の友達と静岡(県ではなく市、というか駅)で会うことになり、高速バスを予約した。8時40分新宿発で、だいたい3時間で静岡に行くというもの。というのは私の勘違いで発時刻が8時20分だったらしい。新宿西口のバスターミナルで発狂しかけた私(ちなみにその前日もバスの時刻表を見間違えて遅刻している、本当は私は全然遅刻しない人なのに…)は10パーセントくらい残っていた理性を使って、小田急線で小田原へ出て、そこから熱海を経由して東海道線に揺られるルートを見つけた。見つけたっていうかすべてヤフーの乗り換え案内が教えてくれたのだが…。バス代はすでにクレジット決済が済んでいたために2500円の追加出費があり、というかちょうど1時間も遅刻することになり、もう気持ちの整理がつかない。

進行方向左側、つまり内陸に向いた座席に座っているために、富士山がどこまでも車窓に貼り付いて離れない。今住んでいるところを含めて私が「帰る」という表現を使うことのできるあらゆる家や町から山をのぞむことはできないので、山のある風景には違和感がある。特に富士山はでかいし、周りにほかの山がないので稜線がはっきり見えるし、白いし、形もはっきりしているしで、存在感がすごい。

太宰治が山梨にこもっていたころ、「毎日まいにち富士山と向き合っていて疲れた」みたいな感じのことを書いたと思うのだが、私もたかだか40分くらいだけど、富士山と向き合っていて疲れた。

そういえば、学生のころバスで金沢に行ったことがある。たしかルートとしては上越自動車道で新潟あたりに出てから、日本海沿いの道を金沢まで西へ下って(という動詞はどうなんだろう。そういう感覚があるんだけど)いった。右手にずっと海、左手にずっと山、という風景は自分にはなじみがなさすぎて、こういう場所で育った人と自分は、決定的にメンタリティが違うんじゃないかと勝手に思った。数少ない北陸出身の知り合いたちを思い浮かべてみたりした。自分の仮説が正しいかどうかはよくわからなかったけど。

日常的に富士山を、それもでかい姿のを、見て生活している人たちもなにか自分と異なる精神性を持つのではなかろうかと思うのだが、どうなんだろう。なにが違うのか想像もつかないけど。「長野の人は、山に見られているという意識が強いから道徳的だ」と昔どこかのおじさんが言っていたけど、そうなんだろうか。そのおじさんは同時に「山梨の人間はどうしようもない」とも言っていたな。山梨も山あるでしょ。

学生時代にやっておいたほうがよかった0のこと

ドライブしながら桑田のものまねをしたことを唐突に思い出した。3人とか4人で出かけた気がするんだけど、いつのときのことかわからない。サザンのベストアルバムなんてあらゆるドライブで流すもんな。

学生生活の序盤でつまづいて強固なコミュニティに属することがかなわなかったから、いまだに定期的に会う友達がほとんどいないし、卒業式などはいたたまれなさすぎて写真をいちまいも撮らずに帰ったのだけど、たまにはドライブなんていう学生っぽい思い出があったりする。それはどうにか友達がふえた4年生の夏以降に集中していて、つまり1年後にはみんなバラバラの生活を送っていることを知りながら人付き合いしていたわけなので、かなりハイな精神状態だったような気がする。ひとつひとつの飲み会がめちゃくちゃ楽しくてめちゃくちゃ寂しかった。そのときの有線放送でよく流れていた洋楽、たまに話すのがめんどくさくなって有名な曲をでかい声で歌ったこと、誰とだったかとか忘れかけているけど、そういうことしたのは忘れないだろうと思う。

私はずっと東京にいるしストレスなく生活しているしで就職で人生が激変したわけではないけど、あんなふうに適当に車借りて夜の甲州街道を西に走ったり、朝まで飲んだり、同じメンバーでやれることはもうないだろうから、やっぱりあれはもう戻れない時間だ。まったく戻りたいわけではないが。また集まっても話すことは違うんだろうね。

学生時代なにをまじめにやっていたかというと、日記はほんと一生懸命書いていた。あとは文章表現を磨こうというスパルタ授業もがんばっていた、本も自分なりにはぐちゃぐちゃと読んだ。だからなんなんだろうか、就職活動でこんな内向的なこと言っても誰も評価してくれない。ちなみに新卒での就活は途中で逃げた…。

なにも突出していない、成し遂げていない、サークル入ってない、卒論悩んだわりには決着してない、政治学科なのに政治のことよくわからない、友達もまじでほとんどいない、バイトは辞めまくる、し、無駄に苦しんでもがいたような学生生活だった。それで、なにかすべきだったのかなと思うと、たとえばインターン申し込んどけばとかもっと系統的に授業とっとけばとかいきがらないでサークル入っとけばいくらでもあるんだけど、それって単純に学生時代にプラスできるもんじゃないんだよな。何十時間とか何百時間、その「あるべきだった」ことに捧げるためには、別のことしてた時間をなくさなくてはいけないわけで、そうなるとなにも削れないのであった。「なにも成し遂げない」というのも学生時代の成果のひとつだったりして、それはそれで今でも負い目みたいなものを残してくれている、別に悪いもんでもないよなーと思った、卒業してからもう三度目の冬でした。