回想 11月

いろんなものを見た。

早稲田祭岡村靖幸のコンサートを見た。直接会ったこともない人の人間性に言及するのは評論家でもないから気が引けるけど、キラキラの王子様、クラスのヒーローじゃなくてもっと劣等感にまみれて生きてきたであろう人が、たぶん太ったんだと思うんだけど大きな体で踊りながらきざな歌を歌う姿は、スカっとして、最高にかっこよかった。劣等感由来の創作って劣等感のほかにも功名心とかひがみみたいな感情が入り込んでいるような気がしてあまり好きではないのだけれど、そういう感じがしなくて、100%、純粋にかっこよかった。しかし身体がでかいしスーツだし東洋人なもんだから、PSYっぽかった。一番有名な曲しか知らないけどPSYもいいなぁと思う。一般的な価値観ではかっこ悪い人とされるが、ウケを狙うでもなく、つまらない自意識を捨てて、あくまでかっこいいことをする姿には、心が浄化される思いがする。 

それで去年あたりに出た「愛はおしゃれじゃない」という曲を初めて聞くようになった。片思いソングなんだけど、歌詞がいい。電話もできないような、完全なる片思いの分際で「愛はおしゃれじゃない」とか言っていることにすべて集約されるんだけど、相手と親しく関わっていないがゆえに妄想(性的なことも、ドラマチックなことも)が増大されて、大それたことを言いまくっちゃっている感じが本当にいい。「どしゃ降りの雨の日も 飛ばされちゃいそうな風の日も 髪型どころじゃない 君に会いに行きたい」って、呼ばれてないし、会いに行ってないからね。会いに行きたいだけ、そう言ってみているだけ、というのが絶妙にイケてない。

コンサートは現役の早大生である妹に学内販売のチケットを取っておいてもらい、一緒に行った。妹が着ていたワンピースがかわいかったからほめたらGUで1990円とのことだったので、翌日ビックロに行ってまったく同じのを買った。姉妹が離れて住むとこんなアホなことしなきゃいけないんだ。

チューリヒ美術館展」に行った。多くの日本人と同じように、私も印象派やポスト印象派の絵が好きで、そういう企画展は毎年、東京のどこかであるので、ありがたい。しかし、ここ数年は「やっぱり私はモネが最高に好き」「ゴッホもいい」「シャガールもいい」「抽象画わかんない」「ダリは本当に嫌いだ。小難しい言葉ばかり使ってわけわからん映画批評を書く学生みたいで本当に嫌い」、という凝り固まった思考をさらになぞって凝固させるために絵を見ているような感じになっていて、悲しい。嫌いな人の嫌いな部分は言語化しないに限るし、それは絵を見るときも同じだ。

とはいえ、新しい絵を見に行くと、いつも新しい感動はある。私はゴッホの絵から、特にそういう感情をもらえることが多い。先日、教育テレビで「出生前診断について考える」といった番組をやっていて、ダウン症の人がインタビューに答えて「(中絶されずに)生まれてくれば、きれいなものを見られる。花とか空とか」みたいな内容を話していて、私にはすごく説得力ある意見だと思えた。そういう、陽光とか風のにおいみたいな世界の美しさは、何年か生きていればかならず誰でも感じられる瞬間があって、そのときって自分の生も祝福されているような気分になる。私は。ゴッホはそれを絵にしているんだろうな、という感じがする。大げさかもしれないけれど、そういう絵を見ると、人生観の大事なところをちょっとだけ共有できたような気がする。

モネは、すばらしい俳人の俳句を、いくらでも(というのは多作だから)鑑賞して、どれもすばらしいなあと思う感じだな。

明日から月が替わる。何があるわけでもないけど、こういう区切りはかなり好きなので、1週間とか1ヶ月とか1年とか、いろいろ単位があって、いいです。おわり