がれきについて

大学を卒業した。身辺で少しごたごたすることがあって、望んでいないギャップ・イヤーを手に入れることになってしまった。ギャップ・イヤーというのは大学を出た者などが進学も就職もせずに過ごす一年のことで、イギリスあたりだとそれなりに市民権を得ている概念らしいが、まさか自分がこういう身分になるとは思っていなかった。現在は就職活動をしているので、働く場所が決まり次第は母校の手伝い(と生活費稼ぎ)に尽力しようと考えている。そういうわけで、めでたさも中くらいなり、という感じ。
ともかく気持ちも状況もずいぶん落ち着きましたので、2月以降からご心配やご迷惑をおかけした方にはおわびしたいです。ごめんなさい。おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。
そういうわけでこれまで以上に「なにものでもない」人物になってしまったことに若干戸惑いつつ、自由に使える時間が格段に増えたことは事実なので、ブログの更新頻度を上げることにします。

震災から一年が経って、以前の私だったら振り返って何かを書いてみたいと思ったに違いないが、まったく語れることがなくて沈黙している。
去年の7月に大槌町という岩手県の沿岸の町で川の清掃をした(余談だが、大槌町に流れる川は「大槌川」「小槌川」という。シンプルでいいと思った)。ぬかるみの中に大きな柱や家財道具や空き缶がとかく大量に埋まっていた。ひたすら泥の中からそれらを引っ張り上げ、燃えるものと燃えないもの、木や金属、瓶などに分別して袋に詰めていった。誰かの生活の中にあったものだ。特に、ふさふさした毛のぬいぐるみを見つけたときは作業をする手が止まってしまった。いま情緒に流されたところでどうしようもない、とは思いつつ、そのぬいぐるみを川の水できれいに洗い、袋には持って行かず、とりあえず日光の下で乾かすことにした。その後、きっと誰かが片づけてくれたのであろうことを思うと、自分は愚かだと感じる。
散々そう言われてはいたが、やはり、私はあれをがれきと呼べないな、と思った。
あれからもう季節が三つ巡ろうとしていて、私が忙しく過ごしている間に片づけは進んでいた。その片づけたものをどこで処理するか、ということが、問題として浮上していた。関係者やメディアはそのことを「がれき処理」と呼んだ。最近まで私はここで語られている「がれき」と、夏に見たものを結びつけられなかった。そういう発想すらなかった。
いまだに「がれき」という言葉を使うことに抵抗がある。私が大槌で見たものは、がれきではない気がするのだ(そもそも「がれき」という語を日常生活で使うことがないから「がれき」の定義もわからない)。「津波が来る前は人間の暮らしそのものだったものを、がれきと呼んじゃいけない」というような論調も確かにあったはずだ。しかし、もうそういうことを言っていられない段階になっているのかもしれない、とも思う。不要なものは処理するしかない。そこでいつまでも感情的になっては、最も優先されるべきことが進まない。
それでも私は言いたい。がれきと呼ばれているものは、そこで生きていた人の生活そのものだったのだ、と。なんだか放射線とか受け入れ反対運動とかで問題系が複雑になりつつある気がするが、がれきが元は何だったのであるかを忘れてはいけないように思う。