「26歳処女」と私(『ときめかない日記』の感想など)

『ときめかない日記』(能町みね子幻冬舎)を読んだ。26歳でずっと彼氏がいない主人公が日々おろおろしたり、ばたばたしたりする漫画。

ときめかない日記

ときめかない日記

第一話と第二話がインターネット上で読めるので、ぜひ見てみてください。
http://webmagazine.gentosha.co.jp/nomuch/vol231_index.html

人並みに誰かを好きになるのに恋人は作れない、という人生は結構多くあるのかもしれない。というか、つい最近まで自分もそうだったし、「彼氏いない歴=年齢」から脱出した現在もこのメンタリティは変わっていないなと思うことが多くある。

休日、繁華街に出かけると、世の中にはこんなにカップルがいるのかと驚く。この「驚く」という感覚は少し特殊なものかもしれないと思うようになった。それぞれに事情は違えど、恋人であるふたりは、互いが互いに恋している。それはほとんど奇跡だ。レミオロメンの「粉雪」という曲が流行ったが、歌詞に「それでも一億人から君を見つけたよ」というフレーズがある。でも、見つけるだけじゃいけない。「一億分の一」どうしじゃないと恋人にはなれないから。ほとんど天文学的な数字だ。また、恋人どうしになるためには、その意思確認が要る。一億かける一億は10の16乗で、私はそれ分の一の確率に賭けなんかできない。晴れてお付き合いが成立したとして、それがかなり恥ずかしいことなのではないか、とも思う。中高生の頃、「好きな人」が周囲に漏れるなんてあってはいけないことだった。恥ずかしくて。好意を態度に出すなんてもってのほかだ。付き合っているふたりは、それを世間に向けてアピールしているわけである。恥ずかしすぎる。

少し冷静になればかなりの暴論ではあるが、心からこう思っていた。きちんと恋愛できる資格のようなものがあるとすれば、自分はそれを剥奪されているように感じていた。だから、付き合ったり別れたりするのは自分とは別の階層にいる人のものだと半ば本気で信じていた。

『ときめかない日記』を読んで、(今でこそ状況はかなり変わったものの)根本的な考え方は変わらないものだなあ、と思った。誰かと愛し愛されるなんてことは一生ないのだと確信し、だからこそそのすばらしさを歌う小沢健二に惹かれた。結婚するとか子供を産むとかは想像できるのに、その相手と具体的に関係性を作り上げている自分の姿にはリアリティのかけらもない。別に完全なる恋愛に憧れているわけでもないし、全くもてないわけでもなかった。しかし、自分が心から好きになった相手から同じ分だけの感情を返してもらえるようなことは、今までなかったとおりこれからもないんだと思っていた。この漫画の主人公はパラレルワールドにいる自分なんじゃなかろうかと、強く感じた。

二十歳になる少し前にはじめて彼氏ができて、それ以来、インターバルはあったりするけどだいたいそういう対象のいる生活をしている(まあまだ二十二ですが)。その間なにかが劇的に変わったとも思えないし、なぜ私は「26歳処女」ではないのか、分岐点がどこかにあったのか、ぐるぐる考えてしまった。

愛してくれる家族がいて、認めてくれる友達がいて、のめり込める趣味があって、そうして私の人生はきれいな環を描いて、完結する。他者の介入でその円環が乱れるのは怖い。しかし、恋をすると、なぜだか相手に自分の人生を少しだけ預けることになる。過去の私は、それをうすうす感じ取って、逃げるように行動してきたのかもしれない。しかし、数年経った今の私は「もう一人では生きていけない」と本気で思っているのだ。

やっぱり運命を分けた決定的な瞬間なんてなかったはずだ。偶然の積み重ねとちょっとした意志から、少しずつ「恋人のいる人生」を志向していくようになったのだろうとしか書けない。一瞬だけ人生に他人を受け入れるのが怖くなくなったり、やけになったり、たぶん少しの諦めや覚悟が、自分を「26歳処女」にしなかった。でも本当にそれだけだ。私は酔っ払うとすぐに惚気話をしてしまうのだが、いつももう一人の自分が「あの私がねえ」と思っている。生まれつき恋愛向きの人間だったらきっとこんなこと考えずに、そもそもしらふの時から彼氏彼女の話をなんの自意識も抱えないでできるのだろう。

モテキ』でもそうだったが、『ときめかない日記』では、主人公が自発的に誰かにアプローチできるまでの過程を描こうとしているように見える。だから、恋愛の終着点がそこまできちんと明かされない。それにすごく共感できる。恋人がいたことがないと、自分はなにか他人を不快にさせる要素や決定的な欠点を抱えているのではないかと、すごく不安になる。でもおそらくほとんどのケースでそんなことはなく、ただ自分が踏み出せないだけなんだと思う。相手ではなく自分が嫌がっているだけで、それに気づくことが少し難しすぎるのだ。いわゆる恋愛体質でない者にとって、この壁ははるかに高く、しかしなかなか認識されない。というか、振り返ってみないとわからないものなのかもしれない。であるからこそ、本当は、自分を誰かに預けてみることが恋愛のいちばんおもしろい要素なのかな、などと考えている。主人公に幸あれ。