「母親失格」

『シズコさん』という本を読んだ。上野千鶴子先生の『女ぎらい』で紹介されていて、ずっと読もうと思っていた。

筆者の佐野洋子さんは『100万回生きたねこ』を書いた人だ。私がこの絵本を初めて読んだのは大人になってからだった。家にはずいぶんいろんな種類の絵本があって、なぜこの名作に触れる機会がなかったのか少し不思議だが、それは幸福なことだったのかもしれないと思う。何度もこの本を読み返したが、いつもどうしても涙をこらえることができない。そういう読者でいられるのは、私の精神がそれなりに成熟したからだ。私はこの本の幸福な読者だと思う。

シズコさんとは佐野洋子さんの母のことだ。シズコさんは病弱だった兄を溺愛し、筆者にはつらくあたったらしい。兄は子供のまま死んだ。もう二人、幼子を亡くしたが、まだ四人も子供はいた。シズコさんの夫も、中年で亡くなった。シズコさんが働いて買ってひとりで住んでいた家には、息子夫婦が移り住んできた。嫁にいじめられ、家を出た。ゆっくり呆けが進んだ。母ときょうだいで話し合って、シズコさんは老人ホームに入居することになった。筆者は週に一度見舞いに行く妹を横目に、たまに出かけて、もう頭がしっかりはたらかない母と会話をした。

『シズコさん』は見舞いの日々とともに、ずっと昔からある母の記憶が書かれたエッセイだ。母を愛せなかった。だから、償うようにしていいホームに入れた。そう書いてある。幼い頃、つなごうと伸ばした手をぴしゃりと払われて以来、母に触れることができなかったそうだ。

シズコさんは93歳で亡くなった。そのとき佐野洋子さんは70歳で、乳がんの治療を受けていた。お互いほとんど晩年だったのだ。いま、考えると。呆けたシズコさんは、善良なおばあさんになった。それでようやく、筆者とシズコさんのあいだに交流が生まれた。

最後の場面は、ぜひ、佐野洋子さんの言葉をそのまま読んでほしいと思う。『100万回生きたねこ』と同様に、私はきっとこの本を何度読んでも涙を流してしまうんじゃないかなあ。

これを読んで急に思い出したことがあった。読書中はつねに、認知症になった祖母のことが頭から離れなかったが、読後に現れたのは肉親でもなんでもない人だった。大学の頃受けていた授業の担当教授だった。

ざっくり言えばジェンダーを学ぶ授業で、担当はちょっと年配の女性だった。話したいことがたくさんあるみたいで、その中に一本の線を見出すのに少し難儀したが、私は彼女の授業が本当に好きだった。政治が専攻だったのだが、「世界の隅っこで苦しい思いをしている人(自分を含む)をなんとか助けたい」と高校のときにぼんやり考えて大学に進んだ、その理想を現実に満たしてくれるような勉強にようやく出会ったような心持ちだった。彼女はいろいろなことに真摯だったと思う。あの授業で、ようやく私は私の話せる言葉を見つけたような気がしていた。

話すのはあまり得意な教授でなかったと思う。狭い教室には私語が飛び交っていた。あるとき、授業の最後、つぶやくように教授が家族のことを話した。研究者として生きてきた。結婚をし、離婚をした。子供は二人いて、成人している。だが、彼らはそれぞれ生きづらさを抱えているように見える。私は母親失格だったのかしら。正確ではないかもしれないけれど、そういうことを、ぼそっと話した。

毎週、出欠を取るかわりに授業の感想を書かされた。この回、私は授業の感想を書かなかった。なんでか私は「先生は悪い母親じゃない」という直感に衝き動かされ、そのことを紙の裏まで延々と書いた。彼女が同情を求めていたわけではなく、たぶん授業で扱ったことに触発されて、自分でも予期しないまま家庭のことを話してしまったのであろうことはわかった。私も慰めたりしたかったわけではなく、ただ先生の感覚は違うんじゃないかといいたかっただけなんだと思う。細かい内容はまったく覚えていないんだけど。

そんなことをなんとなく思い出した。もう2年も前になるのか。