叩くメリットの感じられないもの

強い言葉には敏感なほうだと思う。特になにかを「叩く」ような言説。

私も批判精神は強いけれど、無駄な批判はしないようにしている。で、そうすると、世の中には、する意味(というかメリット)のないような批判はけっこうあるのだな、と思う。以下、挙げてみます。


生活保護を受けている人

十把一絡げに語れる問題でもないけれど。生活保護叩きをしている人たちを見ていると、「不正受給」という言葉が先行している感じがしてしまう。彼らの使う「本当に受けるべき人」ってどこにいるんだろう。それって「アフリカの子供」や「児童福祉施設の子供」みたいな記号にしかみえない。

このアンケート(http://wpb.shueisha.co.jp/2012/06/11/11980/)が恐ろしかった。生活保護受給者が「吉野家で牛丼並盛(380円)を食てもいい」と思っている人は、1000人中618人。それに生卵をつける(430円)と、438人からしかOKは出ないそうで。そもそもこういうアンケートを取る意味ってなんなんだろう。

新型うつ病

うつ病については、れっきとした病名なのに、気分をあらわす言葉を当ててしまったのが元凶だった気がする。これも「気合で治せる」とか「甘え」とか考えている人は多い。そこで出てきた「新型うつ」は格好の餌食だ。病状が「普段は元気なのに仕事には行けない」だからね。「さすがにこれはないだろ」と言う人を、インターネットでも、現実世界でも、たくさん見た。

現実世界で新型うつを批判していたうちの一人は、適応障害を抱える部下の扱いに困っていた。その人の職場は恐ろしいくらい激務で、でも、利益がほとんど上がっていなかったようだった。人が足りないのに、精神を病む部下はよくミスをしてちょっとした損失を会社に与える。で、彼の症状は激務によるものだった、という地獄みたいなループができあがっていた。その部下は会社を辞めたそうだ。そのあたりから、その人は「新型うつってさすがに病気ではないんじゃない?」と言うようになった。


どうして自分のセーフティネットをわざわざぶち壊しにいくんだろう。

こういう言説って、「こっちは歯を食いしばってがんばってるのにどうして楽してるやつらがいるんだ」という気分がもとになっているんだと思う。でも、「自分がそういう状況になる」という意識が欠けすぎていやしないか。

人生は何が起こるかわからない。生活が困窮したのに、病気で働けないこともあるかもしれない。ある朝いきなり会社に行けなくなるかもしれない。そういう時に自分を助けるのが「生活保護」であり「新型うつ病」の宣告、という可能性は大いにある。それをわざわざつぶしてもいいんですか、と思うのだ。


まだある。


・結婚

「結婚は損だ」という人がいる。特に、大金を扱い、その価値を最高のものとする仕事に就いているような独身男性によくいる。その人個人がそう考えて独身を貫くなら、それはその人の生き方だ。それを止めようなんて思わない。でも、結婚を選ぶ人を叩かないでほしいのだ。すぐ前に書いたとおり、それもその人の生き方なのだから。

家族を持つ、ということは、経済的な負担が増える、ということなのかもしれない。男性なら特にそうだろう。どうしても、家族を扶養する立場になることが多い。でも、それを人に押し付けるのは違うと思う。家族を持つメリットをここに書くことはしないけれど、あまり自分の親を蔑むのもお上品とはいえないし。

まあ、上司や取引先など、自分の給与に関わる人がひとりも結婚していないなら、いくらでも叩いていいのかも。つまりはそういうことである。結婚している人がいる限り、あまり結婚している人を叩くのは、得策とはいえない。勝手に結婚しないでいればいいだけの話で。


こういう無駄な「叩き」を見てひとつ言えることがある。叩いた対象を打ちのめし、それが自分の利益になるなら、それが目的なら、構わないと思う。でも、「それを叩く自分」の価値を上げたいなら、あまり意味はない気がする。意味がないというよりも、自分の命さえ縮めることになりやしないか。そういう雰囲気は窮屈なので好きではない。