えにっき 南相馬(ゴールデンウィーク編)

週末に南相馬まで行ってきた。

毎年この時期になると、野馬追という祭が開かれる。旧相馬藩の当主なんかも出てくる伝統ある催しで、去年は原発事故で中止になったわけだが(過去、野馬追はどんな天気でも開催されてきたそうだ)、今年は2年ぶりに開かれたのである。

話は4月末に遡る。知り合い数名で東北に行く話が持ち上がり、勉強会に参加できるというので行った先が南相馬だった。その勉強会は特定の政治的意図にまみれたもので暗い気分になった。勉強会のあと、私たちはなーんにもない(無論なにかがあった)場所で海を見ながら寝転んだり、周囲をぶらぶらしたりした。

本当になんにもない。

キャンプをする予定だったので、車を走らせながら、キャンプ場のある町に向かおうとした。しかし、福島第一原発の周辺は道路が封鎖されていて、うまく南へ抜けられない。日が暮れていく。南相馬の中で、ましな場所を探して、テントを張ることにした。少なくとも私有地ではなさそうな川原を見つけたから、スーパーで買い込んだ魚介を急いで洗い、火を焚き、パエリアの準備をした。

「何やってるの」

土手の上からおじさんが現れた。あぁこれは通報されるなと思った。

でもおじさんは「そこ線量高いよ」と言って少しの間消え、ガイガーカウンターを持って戻ってきた。測ってもらったらたしかに健康にただちに影響の出そうな値だった(衝撃的すぎて数字を覚えていない)。おじさんは川の裏手に住んでいて、当たり前のように庭を私達に貸してくれた。近所の人も現れ、「不審者たち」と紹介されつつ、皆でパエリアを食べた。頼めば家に泊めてくれたのだろうが、何かの意地で私達はテントに泊まった。夜は凍えるほど寒く、日が出ると息苦しくなるくらい暑かった。

翌朝、起きたら味噌汁とおにぎりが縁側に用意されていた。

津波の被害があった場所を見に行こう、と言われ、ついて行った。その前の夏に大槌町に行ったこともあり、どういう状況かはある程度予測できたが(このように予測することが悪いことなのかどうかわからないが、少なくとも気後れはするものだ)、やっぱりこれは非日常だと思った。町の人に何人か会い、津波の来たときのことを聞かせてもらったが、皆笑いながら話すのだった。それがどういうことなのかはわからない。

それまでずっと封鎖されていて、ようやく一時帰宅が許された地区にも行った。本が日焼けしていた。

おじさんは去年の3月で市役所勤めを辞めたあと(辞めたい辞めたいと思っていたところでちょうど地震や事故があって辞めざるを得なくなった)、「3年6組」という直売所を営んでいた。おじさんの中学のクラスだ。同級生数名でやっている店だった。

そこでも歓待を受け、「やまちゃん」というおじさんが甘い甘いニラ玉と卵かけご飯としじみ汁を作ってくれた。

そうして私達は「田舎に泊まろう!」のようなことをしてしまい、やがて東京に帰ったのであるが、様々な人から「野馬追を見に来い」と言われていた。そういうわけで、このたび野馬追を見に、何時間も電車に揺られたのである。

続く。