えにっき 南相馬(野馬追編)

南相馬で野馬追を見てきた。

旧相馬藩の時代から続く由緒ある祭りだ。5月に世話になったおじさんが「絶対来い」と念押ししてきた。行かずに済むわけがない。

5時間揺られた電車を降り立った福島駅前は35.7℃だった。東北とは思えない。復興を祈念して花火大会が行われるらしく、浴衣姿の若い男女がそぞろ歩いていた。

おじさんの車に乗せられ(太田裕美の「木綿のハンカチーフ」のよさを熱弁される)1時間強、南相馬に着く。途中、飯舘村を通る。人の住んでいない家は中まで見なくても、というか車窓から見るだけでわかるものだ。村には人っ子ひとりいなかった。きっと菊池直子の暮らした家は、ぼろくても、人の暮らしている感じがしたに違いない。

南相馬は相変わらずうっすら人の匂いがする。牛もいる。おじさんの家(5年前に新築した)は相変わらず一度も鍵をかけたことがないそうだ。南相馬はそういうところなんだと思う。

夜、町の中心部まで盆踊りを見に行く。おじさんの奥さんが「こんなにたくさんの子供、久しぶりに見た」と言う。この町には老人ばかりが残っている。きっと避難先から祭りに来たのだろうと奥さんは話していた。

そんなにおもしろくなかったからすぐ家に帰って(おじさんの家だけど)寝た。暑かった。

翌朝、7時に出て近所の家に行く。

野馬追の衣装の着付けを見に行ったのだ。この人は1年のエネルギーすべてを野馬追の2日間につぎ込んでいるらしい。息子の名前には「馬」が付く。相馬は余所者を受け入れて発展した歴史があるらしく、伝統ある地域のわりにすごくオープンだ。明らかに見慣れない私達には誰も見向きもしなかった。あとから聞くと、着付けの現場に知らない人が勝手に上がり、おにぎりを食べて帰っていくようなことがよくあるらしい。

ここで野馬追について説明しておこう。というか私もよくわからないのだが、400もの相馬の人たちが甲冑を着て馬に乗って町を練り歩き、そのまま競馬場に行って甲冑競馬をし、最後に旗取り合戦をする、馬糞とか汗の匂いのするイベントだと思っておけばよかろう。これが3日間にわたってだらだらと執り行われるのだ。私達は行列と競馬、旗取りを見ることができた。

その前に、さっきの人の出陣風景。

犬が大興奮していた。

それなりに画になる。

また町の中心部に行く。馬がわらわらと集まっていた。

見に来ている人のテンションが駅伝の応援みたいな感じだった。途中、執行委員長のあいさつが挟まる。

市長だった。

GW中に一緒にパエリアを食べたおじさんも現れ、甲冑姿を見せてくれた。おじさんは野馬追のために馬を飼っている。

「本当に約束を守ったんだな!」と言われる。実はこの旅行、お世話になった人たちにどうにかお礼がしたくて来たものだった。野馬追のビデオでも撮るつもりだった。でも人員不足やらで結局何もできず、またお世話になるだけかと申し訳なく思っていた。ああでもそんなんじゃなくてただ行くだけで喜んでくれるんだな、と思った。行ってよかった。きっと私は来年も行くんだろう。

行列は大きな広場に向かう。競馬だ。

暑くて暑くて頭がぐるぐるした。

電車の時間が間に合わなくなりそうで、13時半には会場を離れた。「メーンだから、メーン」と念押しされた旗取りは見られた。花火のように旗を空に打ち上げ、400の騎馬がそれを取り合うのだ。メーンにもなろう。

壮観というか、もうあまり頭では処理できない光景。

またおじさんに車で福島まで送ってもらった。やまちゃんがお弁当を持たせてくれた。「今度はゆっくり来い」と言われた。シーフードカレーを作ってくれるそうだ。ルーとシーフードミックスと野菜しか使わないような雰囲気だった。スパイスから炒めるカレーよりもおいしいんだろうと思う。

道が混んでいて、おじさんに4回くらい「彼氏が浮気しても許してやれ」と言われる。

やっと着いた福島駅前ではサウンドデモが行われていた。

「ウィーラブフクシマ!(ウィーラブフクシマ!) ウィーアーフクシマ!(ウィーアーフクシマ!)」と言っていたので、彼らは福島の人じゃないんだろう。英語はふくざつだ。

この旅行は先輩と二人で来ていた。彼女は免許の学科試験の勉強があると言って新幹線に乗ってしまった(落ちたらしいです。明日はがんばってください)。私は鈍行で帰った。太宰治の『津軽』を引き続き読む。話の流れはすべて覚えていたが、また最後で大感動して涙を流しかけた。

私が乗っていた電車が通り過ぎたあとにSLが走るらしく、田んぼの中でカメラを構える人が何人も、何人も車窓から見えた。途中まで事情を推し量れずにピースサインを送ったりしていた。

日が沈んでからは特にすることもなく、ただ車内の冷房に耐えていた。

そうして家に帰り着いて、また平日の生活を送っている。

GWに行ったときは復興とかそういうことを考えたが、なんだかもう南相馬は親戚のいる町みたいになってしまって、あんまり被災地とかそういうふうに思えない。もちろんニュースを注視するようにはなったが、おじさんたちはあの町を選んであの町に住んでいる。そしてあの町はものすごくいい町なのだ。

またゆっくり遊びに行きたい。