ひとりぐらし記:3

夕食に汁物を作ることにした。
自炊初日の夕食は主菜(カレー)のみ、2日目は主菜に副菜を2種類(酢の物と温野菜。生野菜かそれに準ずるものがないと気持ち悪くて…)足せた。それでもものたりない。ああ実家では一汁五菜くらいの生活をしていたなと思いだした。落ち着かないのも当然である。

しかしわがやのキッチンは一口コンロ。そもそも要領の悪い私は二口あっても使いこなせないのだが、にしても汁物が作れない…。それで発言小町をながめていたら、1万円くらいする保温鍋が勧められていて、ああ節約にも初期投資(もしくは資本)がいるのだよなとの思いにかられる。もう少しインターネットの海を泳ぐ。やがて黄金でできた島・ジパングにたどりついた。その別名は、炊飯器…。

米はなんとなく神聖なものだ。アメリカやヨーロッパの人が小麦やじゃがいもに同じ思いを抱くかはわからないが、ともかく、日本では、米は神聖だ。炊きたてのごはんを地面に落としてふんづける輩がいたら、オーディエンスは怒り狂うだろう。

であるからして、その米を炊く炊飯器も、すこし神聖だ。少なくとも電子レンジとかよりは神聖だろう。それにしても日本の携帯電話は国内仕様で発達しまくったおかげでガラパゴスだのなんだのと言われているが、もしかして炊飯器はドメスティックな家電なのではなかろうか。象印とかタイガーとかいうのはガラパゴス以上の限界集落メーカーだったりしないのか。ここに「うさぎ印」とか「しばいぬ」がいたらかわいいだろうなとふと思ったけれど、ガラパゴスではやっていけなさそうだよね。こういう家電、きっと他の国にもあるんだろうな…

ともかく、炊飯器で米以外のものを調理する…という行為は、心の中でちいさなハードルを越えなければ、できないような気がするのだ。私個人としては、炊き込みご飯を連想して、「食事は作ってもよいがケーキは焼けないや」というラインが引かれることとなった。炊飯器でガトーショコラとかはちょっとだめだ。

そんな逡巡を経て、買ったばかりの中古の炊飯器(IH・象印・2012年モデル・5000円で購入)を出動させることになった。いちど米2合を炊いたら3日くらいかけて消費しなければならず、せっかく買ったのに稼働率の低さが目立っていたからちょうどよい。

勤め先から家までの35分(自転車で。電車だと1時間くらいみなければならない)で段取りを考え尽くす。ホームセンターにも行きたかったため、帰宅直後にざくざく野菜を切って、ココナッツカレーで使ったのこりの鶏むね肉と一緒に突っ込み、すぐに出かけて帰ってくることにした。段どりというのは、遂行よりも組み立てが楽しいですね。

ジャガイモの皮むきに手間取ったため、作業が予定より10分延びた。あと、なんでもかんでも入れるつもりでどしどし野菜を切ったら、釜がふちのところまで埋まった。米を炊くときこんなんしなくない?「適当な目分量をあやまって残念な結果を呼ぶ」というのは私のよくやるミスで、ああまたやってしまったかと落ち込んだけれど、ものはためしとひたひたに水を注いで、コンソメを入れて、ふたをかちりと閉めて、早炊きボタンを押して、家を出た。

数十分後。ドアを開けたらめちゃくちゃいい匂いが漂っていた。野菜の甘い匂い。

でも、野菜は火を通しさえすればいい匂いがするものだし、それより心配なのは、大量の野菜を炊飯器に押し込んだことによる弊害とか、水がすべて蒸発していないかであって……とごちゃごちゃ言いながらふたを開けたら拍子抜けするほど完ぺきなポトフができていた。汁物として成立しているばかりか、こう、野菜の滋味のようなものが染み出ている。大根やにんじんにも火が通り、ジャガイモは少し煮崩れしているものの、きちんと調理されている。やはりここはジパングだったか……。

主菜に用意したパスタはレンジ茹でに失敗して悲しい気持ちになったものの(これも見切り発車による敗北であり、かなり自己嫌悪に陥った。すごく気合いを入れてパスタソースを作ったのに…)、いわゆる「一汁一菜」生活がはじまり、これでまた健康で文化的な生活に近づくことができた。米にもっとも合う汁物・味噌汁が作れないのは残念だが…。

ともかく、必要は発明の母というか、青い鳥は肩にとまっているというか、汁物だけでなく、煮込み料理なんかも検討の上、炊飯器の運用を考えていきたい。