夢の名残

「ヨックモックのシガール」と言えば半数くらいの人がわかってくれるだろうか。薄く細長く焼いたクッキーを葉巻のような筒状に成形した、あの、さくさくして甘くてバターのかおりがするお菓子のことだ。多くの子供がそうであるように、私はあれが大好きだった。

今日は三連休の中日で、予定はなく、天気はよく、家でだらだらしようと思いながらも一応着替えて化粧をして、どうしようかな、と窓の外に目をやると、陽光が「外に出ておいで」と誘っているように見えた。化粧までしたのは正解だった。自転車でどこかへ遊びに行くことにして、すぐに家を出ることにした。

天気のいい日は海が見たい。行き先として真っ先に浮かんだのは横浜で、調べると私の住む町から35kmとのことだった。平坦な道なら2時間もかからない距離だ。想像よりハードルが低かったから足取りも軽く(自転車を漕いでいるから軽いもなにもないのだが)、南西方面へと向かった。

2時間半後、これまで何度か自転車で来たことがあるため、大した感慨もなく横浜駅に着く。身体を動かした実感もさほどない。ただ、ペダルを踏みながら考えた「このプチ旅行のテーマ」を果たすために、もう4kmだけ歩を進める。行き先は中華街で、旅のテーマは「中華街をぶらぶらして買い物をする」なのだ。

というのも、小学校の卒業アルバムに「10年後の自分」という欄があり、そこに私は「中華街で買い物」と書いていたのであった。ちなみにメンヘラ気味の女の子は「好きな人と海で泳ぐ」と書いていた。それ以外の人のは一切覚えていないが、その子の回答は心に残っている。一生、太宰みたいな男に出会わないといいのだが、と思う。

私が卒業アルバムに書くくらい中華街に固執していた理由は、そこが小学生の知りうる範囲内でも上位にある「あこがれ」の対象だったからなのだろう。

私の実家は東京の西側(23区内ではあるが、最西端のようなもの)にあり、ときおり家族で横浜へ遊びに行ったのだった。わざわざホテルをとって泊まったことさえ二度ある(一度は海の近くにある由緒正しいホテルで、ホテル側のミスかなにかでスイートルームに泊めてもらえた。ルームサービスの朝食の卵のゆで時間を指定できたのが印象的だった)。

横浜に連れてこられるたびに家族で向かうのが中華街であり、そこは幼い私にとってのワンダーランドにほかならなかった。歩いているとなぜかタダで甘栗がもらえ、回るテーブルの上に供される食事はどれもおいしく、何より、点在する雑貨屋がおもしろくてしかたなかった。嗅いだことのない香りを放つお香や、変な人形、シール、アクセサリーなどなど、地元のどこにも売っていないようなものがいくらでもあった。母にそういう趣味があることもあり、何軒もの雑貨の店を飽きず見て回った。控えめな子供だったからあまりねだりはしなかったが、ほしいと思うものはいくらでもあった。

中華街は広くて混んでいる。小学生がひとりで歩き回ってもとの場所に出てこられるようなところではない。異国のにおい、異国の人は少し怖い。自分のこづかいもない。そもそも、電車を乗り継いで横浜に出てくることもできない。11年前の私にとって「中華街で買い物」というのは実現不可能な、でもいつか叶うであろう夢だった。買ってもらったガラス細工のついた根付をいつまでも大切にとっておいた。

今日はじめて一人で訪れた中華街は、相変わらず人でごった返していた。昼時には、誇張でなく、すべての飲食店の前に行列ができていた。橋を渡った先にある元町という雰囲気のよいエリアで適当に見つけたハンバーガー屋に入り、店で一番高いメニューを頼んで食べた。いいパンを使っているようでおいしかった。腹ごなしに外国人墓地のあたりを散歩してから中華街に戻り、いくつか店を覗いた。ほしいものはなかった。20分も歩くと、もういいかなという感じになり、そこで自転車にまたがった。

ぼんやりあこがれていた夢が一瞬にして叶うことはほとんどない。となれば、逆に、忘れているあいだに、その夢を叶えられる自分になっていることもある。私は一人暮らしの会社員という身分で、自由に使える金や時間があり、ふらっと出かけて心配をかける家族はいない。少しの力をかけるだけでたくさん走る自転車まである。それは「10年後に中華街で買い物」をしようと思ってこつこつやってきた成果ではない。ただ、どう生きていこうかぐにゃぐにゃ考えて、少し努力をしたり失望したり妥協したりして、結局今の状況に落ち着いただけだ。

その間にも、横浜には何度も訪れている。あるときは友人と、別のときは当時好きだった人と、あとはまたぜんぜん違う関係性の人と。つまらない話を延々聞いたり、人生最高に胸糞の悪い思いをしたり、おどろくほど高いランチをごちそうになったりした。

思い出した夢を実現させてやろうと11年後の私が思ったときには、すでにその夢の体温は失われていた。それは「手に入った瞬間に陳腐になる夢」とも少し種類が違う。もっと、人生の「仕方なさ」みたいなものをはらんでいるように思えるのだ。

人の一生はさまざまなものに例えられるが、終わりのない坂道をずっとのぼっていく、というイメージが、いま頭の中にある。つまり、自分のいる位置によって眺めがまったく違うのだ。いま歩いている坂がひたすらにきつい。しかも、迷子になりそうで怖い。かつての自分が夢見た以上のことをできるようになったけれど、すでに低いところにあるものは小さく遠く、ほとんど見えなくなっている。そのときどきで景色も考えられることもできることも変わるから、時空を越えてまで、自我が同じ大問題を共有することは、やはりほとんどできないものなのだろう。幼少の頃からずっと同じ問題意識を持ち続ける人がいたとしたら気持ち悪い。

山下公園から海を見ると、空と海、そして自分の影が、ちょうど青色のグラデーションを作っていた。横浜という街が自分にとって少し特別な場所なのは変わらない。この街は美しいと思う。その上で、ずっと中華街のことばかり考えている人生じゃなくてよかったと思うし、でもやっぱり雑貨屋にときめかないのは寂しい。

冒頭の「シガール」だが、これも私が幼少の頃に執着していた菓子だ。初めて食べたとき、こんなにおいしいものが世の中にあるのかと瞠目した。サンタさんにまで頼んだ。だが、家では一日二本以上食べると叱られた。これはいま食べてもおいしいと思うから、まだ夢の体温はそんなに下がっていない気がする。中華街を満喫しきれなかった詫びとして、一度大量に買ってみたらどうだろうかと思っている。ダイエットとか胃もたれとかでいやになっちゃうかなあ。