「本来の私」の範囲

もう少し掘り下げて考えるべき話題のような気がするけれど、ちょっと感じたことをまとめておきたいので更新します。

ちょっとダメもとで、でもちょっと強引めにお願いしてみたら休みが二日とれたので、週末とくっつけて、四日間の旅行をした。

四日間はちょっと長い。一泊や二泊なら「非日常」として、普段使っているものがなくても耐えられる。でも、四日のあいだ、ないと辛くなるものは確実にある。四日間を「非日常」のまま過ごすのはきつい。私の髪は何もしないとまっすぐ下に落ちるので、今の短い髪型だと不格好になる。四日間もそれではいやだから、コテをリュックサックに詰めた。

行きの空港で化粧直しをしようとすると、口紅を持ってきていないことに気がついた。私は私の唇の色が好きでない。どれかひとつしか化粧の工程をやってはいけないと言われたら、必ず口紅をさすはずだ。口紅なしで化粧を終えた私の顔は暗い。ああ四日間これで過ごさなきゃいけないのかと思うと気持ちが重くなった。

旅の途中でトイレに入る。手を洗う場所には大抵、鏡がある。何度見てもぼんやりした人間が映るだけで、これは本来の私ではないんだけどな、とひとり自分に言い訳をする。

私が口紅をさしていない私を「本来の私ではない私」だと真剣に考えている、というのがこの話のみそだと思う。実際には、それが本来の私の色なんだから。

このとき、私が考える私は、完全に「自分でないなにか」に依存していることになる。そういう人間になりたかったわけじゃないんだけどなあなんて思うけど、それも少し別の話で、つまり、私はこの二十数年間で、自分を規定するものを、自分の肉体とか精神以外のところにも作ってしまったわけだ。「本来の私」の輪郭と、実際にある私の身体の輪郭はちょっとずれている。愛用の香水が廃番になることを考えるだけでぞっとする。一度部屋が散らかりすぎてコテを見失ったときも途方に暮れた。

ちなみに口紅を使うようになったのはつい数年前で、それまでは気にくわないながらもすっぴんの唇を自分の唇だと認識していたことになる。となると、まだ自分の輪郭がどろどろになっていくような気がする。それは、化粧が濃くなるとか、そんな次元の話ではない。もっと「仕事」とか「恋愛」とか、そういう方面にいってもおかしくない。ものじゃないものに規定される自分なんていかにもあぶなっかしい。

ともかく、今の私のアイデンティティは口紅に寄りかかって立っている。まあ特にオチなどのないブログである。

と、もしかしたら私はもともと自然体では叶えられないような「本来の自分」像を心に持っている気がしてきた。でもそれは「理想の自分」とは少し違う。今すぐにでも鏡に映りそうな人間が「本来の自分」なのだから。そういう気持ちで、明日も、前髪を巻いて口紅を塗って、仕上げに香水瓶をうなじに押し当てて、外に出かける。

この話題がまだまだ続くのは、「やりたいこと」や「好きなこと」と「生活の糧」が少し離れたところにあるときに、「本当の自分」はどこでどう発揮されるべきか、それともそんな「本当の自分」なんてまやかしなのか、ということを最近考えているからです。これについては週末までに続きを書きたい。

それにしても旅行先の福岡は飯がうまくて毎食(というか一日五食くらい)ばくばく食べてしまい、あらびっくりというくらい体重が増えて、顔も丸くなった。これも本来の私の姿ではない…。