引き続いてただの日記

多幸感しかない日曜日の昼間だ。

ここしばらく体調が悪かった。家ではほとんど寝て過ごしていた。職場の近所にある医者は、薬を三日分しか出してくれない。スパルタ。細菌感染が進んだらしくものもらいまでできる。当然だが目が腫れるので顔の造形が崩れる。だいたい周りは気づいてくれない。そういうもんだと思う。「自分が思うほど他人は自分のことを気にしていない」と気づくまで21年くらいかかった。ちなみに私は「え!よく見てるね」と言われることが多い。スタバの店員が髪を切ったくらいのことにもすぐ気がつく。

うなされながら夢を見た。ハムスターを飼う夢。仕事帰りにマッサージ屋に寄った。そこで焚いていたお香が、いや、いい匂いだったんだけど、いちミリくらいだけハムスター臭の成分を含んでいたのである。動物を飼う夢のパターンはいつも同じだ、一日目は世話をするが、どうしても二、三日放っておいてしまう。おそるおそる見に行く。辛うじて生きている。ごめんね餌やらなくて。こういう夢を月に1回はかならず見る。いつも餌をやり忘れてしまう。何かの暗示なんだろうか。母に話したら、「私も未だに赤ちゃんの世話を忘れて何日か置いておいてしまう夢を見るよ」と言われた。私も子供ができたらそうなりそうだ。ハムスターを後ろから見たら鯖みたいな薄さだった。

風立ちぬ、絶対見ないだろうと思っていたけれど、うまく見に行けた。映画を見るのは本当に苦手だ。見たい映画はいつもある。でも、たとえば仕事が早く終わった日など、物理的に映画を見ることができる瞬間に、その映画を見たい気分であることがほとんどない。奇跡的に物理と精神がマッチングしても、上映時間と上映館という壁がまだあって、だいたいちょうどいい時間と場所で映画を見られることなんてないのである。気難しい男性の射精はこんな感じなのかもしれない。ともかく今回はうまい具合にいけた。この話は「美しい飛行機を作りたいとひたすらに願う技師」と「戦争に使う飛行機を欲しがる時代の空気」というわかりやすいジレンマがあるけれど、私はじめ一般人の人生もきっと外から見ると、理想と現実をつなげているつもりの橋はほころびだらけなんだろうと思った。それは人間が他の人間と共に生きている限り逃げられないことで、とやかく言ってどうにかなる話ではない。社会と個人の関わりというか、個人の行動が社会に与えるインパクトは、巡り巡れば望みの逆の結果をもたらすこともあろう。ただこの映画は極端なだけで。工場排水やなにかで環境を破壊しているであろう大企業がCSRと称してビオトープを造るくらい許そうと思う。

学生時代の友達と飲んだのが楽しかった。同窓会的な集まりは不参加者の近況連絡と思い出話に尽きがちで、二度目からは飽きてしまうことが多いのだが、最近そういうクソな会合に当たることがほとんどない。後ろ向きな書き方をしてしまったが、「彼らと会うといつも刺激される。互いがそれぞれの居場所でがんばっていることがわかって私もがんばっていこうと思った」など本音を書くとあまりに前向きすぎる。その時に飲んでいた3名全員が絶賛していたから、風立ちぬを見ようと思ったのだった。

いろいろな人の実家の食生活を知りたい。我が家は母が食事を作っていて、朝や夜の時間が一人ずれてもかならず誰かが同席してくれた。朝食はトースト、サラダ、卵料理かツナ、果物、ヨーグルト。週末は野菜炒めのことが多い。ときおりホットケーキ(つぶしたバナナ入り)を焼いてもらう。夕食はおかずが4種類くらい。誰も晩酌しない。味噌汁がつく。味噌汁はいりこだしで白味噌のときも赤味噌のときもある。「1日30品目の強迫観念にとらわれている」と母は話していた。肉じゃがの具はじゃがいも、人参、たまねぎ、豚ひき肉。ロールキャベツは醤油で味付けする。どれも本当においしい。