答え合わせ

陽だまりの彼女」の映画のポスター。人物のアップ写真が2枚。上段、主人公の松潤が少し眉をひそめて斜め後ろに視線をやっている。下段、ヒロインの上野樹里がなにかを決心したような表情でまっすぐ前を見つめる。少し違ったかもしれないけど、だいたいこういう感じ。

この話はラブストーリーだ。ボーイ・ミーツ・ガールのち突然、松潤が眉をひそめるような悲しい出来事が起きて、その理由は松潤にはぜんぜんわからなくて上野樹里だけが知っている。だから上野は前を見据えているのだ。最終的には松潤もすべての答えを知って、それによって松潤の幸せ度はぐっと上がって、物語はハッピーエンドを迎える(小説を読んだ限り私にはぴんとこなかったけど)。

それでちょっと思ったんだけど、本来こんなこと絶対ありえない。話をわかりやすくするために「恋人同士が別れてしまった」という例を出してみるけど、たとえどちらかが完全に振る側だったとしても、「なんで自分たちがこういう状況にいるのか」という疑問、というか謎に完答できやしないだろう。特に振られた側は「自分のなにが悪かったんだろう」と必死で答えを探したりするけど、そんなきれいな答えなんかどこにもない。振るほうだってなにもかも見えてるわけなくて、ただ自分が理解できる限りでの相手とはもう付き合いを続けられないと判断したというだけで、結局ふたりの破局というのはひとつの出来事だけど誰もその全容を知ることなんて一生できない。恋愛に限った話ですらない。どういう人間関係でも、自分が観測できる範囲でしかその関係をとらえられないし、ずれがあったとして関係者があとから額突き合わせて語り合ったとしても、起こってしまったことの理由がすべて解明されることは一切ないんだろうと思う。

どうしてこういうことを思ったかというと、このあいだ飲んでいた友達と「多崎つくる」の話をしていたときに、彼が「あの話って終盤で答え合わせするでしょ、あれに驚いた」と言ったのがすごく印象に残ったからだ。つくる君が疑問に思っていたことは、「実はあの時ね」と、全部教えてもらえるのである。それは彼が心を開いて人とふれあおうとした対価なのだろうけれども。でも、たしかに「ノルウェイの森」では、直子が死んだ理由もよくわからない、緑に電話しても自分の居場所がわからない、にゃんにゃんにゃにゃ〜ん、にゃんにゃんにゃにゃん、と、ワタナベ君は泣いてばかりいた。いやそれは映画の終盤か…(なぜ松山ケンイチは泣きながらよだれをだらだら垂らしていたのだろう)。

風立ちぬ」を見てもそう思ったんだった。ヒロイン(また「なおこ」だ〜)が主人公との恋を始めて終えたあと、見守っていたうちの一人が、それを総括するようなことをぽつりと言う。え、こうまとめちゃっていいんだ、と私は感じた。そうとも解釈できるけど、まあ別の意図もあったかもしれないじゃない。

最近、答え合わせしたいことがたくさんあるけど、相手も答えなんか持っちゃいないんだろうと思うと少しばかり楽になった。でもやっぱりみんな「後学の参考に」とか思ってあのときああなっちゃった理由が知りたいから、恋愛映画がはやったりするのだろうし、たぶんそれを作った人だって理由を見つけたかったのかもしれない。でも後学の参考になんかならなくて、また別の人間関係が始まって、びくつくのだろうな。