仮住まいとルンバ

ルンバがほしい。床を拭いたりするのがめんどうくさい。買えばいいじゃんという話なんだけど、値段を見るといつも考えていたよりちょっと高いのでちょっと買いたくないなと思う。マリメッコの直売店に行っても同じ気持ちになる(折りたたみ傘が5000円くらいする。だいたい3990円かな〜と思って値札をめくるんだけど)。ルンバ、6万円か8万円だったと思う。私の狭すぎるワンルームの掃除にかけていいお金じゃないと思う。別にきれいですてきな部屋に住みたいわけでもないし。

と、いうか、「掃除がめんどう」が「部屋をきれいに保ちたい」にまさる時点でお掃除ロボットなんか買うべきじゃない気もするし、なぜ「部屋をきれいに保ちたい」という気持ちが薄いかというと、今の部屋は仮住まいだと思っているからだ。部屋どころじゃなくて、今の暮らしすべてが仮住まいのように感じる。今、私は、山手線の内側に部屋を借りて一人暮らししていて、週に5日、会社に行って、生活費を払って、好きな材料を買ってきて好きな料理だけ作って、暇な時間はひたすらごろごろしたりインターネットをしたりしている。こんなに気ままな生活は生まれて初めてで、とても居心地のよいものだけど、これが人生の本番とは到底思えないのだ。10年後の世界から自分がやってきて、10年後も同じ生活だよと言われたら、絶望で死にたくなる。

つまり白馬の王子様願望ということかな? と、30くらい年上の男性に言われて、ちょっと考えていたが、もちろんいつか結婚はしたいし結婚すれば否応なく人生が本番的なステージに突入してルンバも購入することになるんだろうけど、結婚はその本番を形作る一つの要素に過ぎないのだと思う。ずっと独身であるならそれに応じた形で仮住まいからは卒業したい。

じゃあなにが今の私を「人生のリハーサル期間」的なものにとどまらせているのかというと、この生活を形作っているすべてものが取り替え可能であること、それが理由なんじゃないかと思い至った。簡単なところでいえば、家具、全部ニトリかイケアで買ったもので、ずっと使おうとは思っていない。部屋の賃貸契約はすぐ取り消せるし、仕事も、まだ若いから転職先はいくらでもあるだろうし、つらくなったらやめられる。人間関係に辟易したらフッと姿を消してしまって問題ない(人道的にどうかはわからないけど)。私はこれまでに取り返しのつかないことをひとつもしていないのだ。

私の考える取り返しのつかないことナンバーワンは子作りだが、住居購入とか結婚とか転職とか加齢とか、他にもいろいろあって、人生の変数はどんどん少なくなっていく。足場が固まるとも選択肢が減るとも言うんだろうけど。何もかも「嫌になったらやめられる」という状態でルンバなんか買って、毎日狭い部屋を掃除してもらって、引っ越しのたびに新居に連れて行って、とか、できるほどの甲斐性なんてどこにもない。掃除機さえ大仰に感じるような部屋で、クイックルワイパーで取り切れなかったごみをハンドクリーナーに吸い込ませている。

しかしやっぱりルンバはほしい。そんなことを、最近、結婚が決まって遠くへ引越した友達を見ていて思いました。