ジャスティス・フォーエバー

キックアスの続編の副題。こういう普遍的な概念に流行もクソもない気がするけど、やっぱり数年前まで「正義」ってブームだったよね。ダークナイトとかサンデル教授とか。映画はおもしろかった。見たあと一日間くらいいろいろ考えて「脱構築」という単語を思いついたけど、今となっては何を考えていたのか、誰が何を脱構築したのか思い出せない。

先週一週間、一万円で生活してみようと思って、実行していた。何をやっても楽しくないし、こういう無駄なことはもうやめようと思った。給料日が来るとすごく憂鬱になる。明細に書かれた数字を見つめていると、お金のことが心配になってくる。家賃。貯蓄。結婚。転職。住宅購入。子の教育費。老人ホーム。年金。お金に対する理解度が低いために、まったく並列していない、バラバラの心配事が次から次へと思い浮かんで、気が重くなる。郵便受けを見たら自分に宛てた白い封筒が入っていた。封筒には赤い文字で「資格の学校TAC」「資料請求ありがとうございます」と書かれている。そう、投資のセミナーに行ってみようと思って、なんかの懸賞に応募するとき「資料請求する」にチェックを入れたのだった。こういうの四月病っていうんだっけと一瞬考えたけど今は六月だった。中身は読まずに捨てた。

6月というのは評価が難しい月で、雨が多いというだけでマイナス500ポイントくらいしたいところなのだが、日照時間が長いのと、あじさいがそこらじゅうで咲いているのとで、プラス500は軽く越えてくるような気がする。私は花ならなんでも好きだが、あじさいはとくべつ美しいと思う。あじさいを好きだと思う気持ちをどこにぶつければいいかわからないくらいあじさいが好きだ。自分が生きていることは奇跡的なことだと思うが、地球上に花というものがあること、中でもあじさいという美しい種類が梅雨に咲くことは、ほんとうに「神様の大きな愛」みたいな語彙でしか説明できないんじゃないか。それくらいあじさいが好き。なんでこんなにきれいな花が、色が、あるんだろう。あと、なんで虫みたいに気持ち悪い生き物も、地球にはたくさんいるんだろう。

誰に強制されているわけでもないのにOLっぽい服を好んで買ってしまう。白の半袖ブラウスとかひざ丈のスカートとか。こんなのやだ、ほんとの私じゃないと思って、アメコミなんかがプリントされたTシャツをユニクロで4枚も買ってしまった。でも別にそういうのが私らしさかというと、全然違うと思う。秋にバーベキューしたとき、カジュアルな服をひとつも持っていないことに気がついた。カジュアルな服はあまり好きじゃないんだ。顔がカジュアルな感じだから、必要以上にカジュアルになる気がする。よくマーケティング関係の人が「消費者が言語化できていない欲望を形にする」みたいな話をしているけれど、今のところ私の欲望は池袋のルミネとかエソラによってむりやりに具現化されて、いつも違和感をおぼえながら服を着ている。でもほめられたりするんだよなあ。


ちなみに、さすがに私はここまでふわふわした人間ではない。半分くらい誇張とか脚色とか作り話です

おわり