太宰、夏色


昨日は太宰治の命日だった。毎年、日付を覚えているので、一週間くらい前に思い出してそわそわするのだが、今年は当日になるまですっかり忘れていた。まあ、例年もそわそわするだけで特に黙祷とか墓参とかするわけではないんだけど。

なんかの本で読んで、よく飲み会とかで披露する話なんだけど、太宰ファン同士は仲良くなれないのだそうだ。『人間失格』なんかが顕著だと思うが、太宰は人の心にしのびこむのがうまい。読者だれもが「この人、自分にそっくり!」と思ってしまうのだと。ちなみに『星の王子様』も同じような効果があるそうだ。ともかく、作品名にちなんで桜桃忌と呼ばれる彼の命日は、ファンが彼の墓にさくらんぼを供えにくるのが一大行事みたいになっているのが、もちろん太宰ファンの私にも耐えられない。太宰のことアイドルみたいに扱っちゃって、ほんとにこの人たち太宰の苦しみとかわかってんの、勝手に共感とかしちゃってるだけじゃないの、とか、思ってしまうのである。

ちなみに、私は『富嶽八景』という小品が太宰作品の中ではもっとも好きだ。次点は『走れメロス』。これもそこかしこで言ったり書いたりしてきたことだが、これらを書いた頃の太宰は精神がすごく健康なので、作品もただひたすらにおもしろく、彼の文章のうまさをストレートに味わえるのがとてもいい。

数十年後、子育てを終えたあたりの私も、太宰の墓参りに行きそうでこわい。それでまだ鋭い気持ちを持った若者に嫌われるんだ。

6月の下旬になろうとしているが、夕方はまだまだ涼しい。近所の少し長い下り坂を自転車でゆっくり降りながら、ゆずの「夏色」を口ずさんだ。え、君を自転車の後ろに乗せて下り坂を走行だと…? 盗んだバイクで走り出すのと変わらない不良ソングだ。それにしてもゆずは「涙」を「泪」と表記するのがどうもいやだと思う。想う。

死んだら天国で太宰に逢いたい。